
熱帯スイレン(Nymphaea sp.)は、スイレン科(Nymphaeaceae)スイレン属(Nymphaea)に属する水生の多年草のうち、熱帯地域を原産地とし、寒さに弱い性質を持つ一群の総称である。属名Nymphaeaは、ギリシャ神話に登場する水の精霊ニンフに由来する。日本国内で栽培・流通する温帯性のスイレン(耐寒性スイレン)とは対照的に、花色や開花様式に独自の特徴を持ち、夏の庭園や鉢植えを彩る水生植物として親しまれている。
本群は、水底の泥中に根を張る根茎ないし塊茎から、水面に浮かぶ円形から心形の葉(浮葉)を伸ばす多年生の水生植物である。草丈はおよそ10~50センチメートル、横幅は30~120センチメートルほどに広がる。
最大の特徴は、花を咲かせる位置と花色にある。温帯性のスイレンでは花が水面すれすれの高さで咲くのに対し、熱帯スイレンの花は水面より高い位置に伸び上がって咲く。また、花色においても、温帯性のものが白、赤、桃、黄色を中心とするのに対し、本群には青や紫といった寒色系の花色を持つものが存在する点が大きな特徴である。開花様式には、日中に咲く昼咲き性のものと、夕方から翌朝にかけて咲く夜咲き性のものとがあり、夜咲き性の品種が存在する点も温帯性スイレンには見られない特徴である。品種によっては、葉の中心部にムカゴ(走出芽)と呼ばれる小さな不定芽を生じ、そこから新たな苗が発生する栄養繁殖の様式を示すものもある。
本群は、アフリカ、南アメリカ、オーストラリア、アジアなど、世界各地の熱帯・亜熱帯地域の池沼や河川の緩流域を自生地とする。一年を通じて温暖な気候を好み、耐寒性を持たないため、水温がおよそ摂氏15度を下回ると生育が衰え、そのままでは越冬できない。
スイレン属全体は世界に50種ほどが知られ、5つの亜属に分類される。このうち、日中に開花するグループと、夜間に開花する2つのグループがおおむね「熱帯スイレン」として扱われ、これに対して耐寒性を持つ亜属が「温帯スイレン」として区別される。日本には、このうち耐寒性を持つ亜属に属するヒツジグサ(未草)のみが自生し、熱帯スイレンの野生種は自生しない。
本群を含むスイレン属の植物は、水中の泥に根を張りながら葉を水面に浮かべるという生育形態を持ち、葉柄や根茎の内部には通気組織が発達しており、これによって水中の低酸素環境下でも根や地下茎に酸素を供給することができる。塊茎を形成する品種では、この貯蔵器官に養分を蓄えることで、生育に適さない時期を乗り越える生理的な適応が見られる。
花色における寒色系色素(青色・紫色)の発現は、アントシアニン系色素の化学構造の違いによるものと考えられ、温帯性のスイレンには見られないこの色素発現の多様性が、熱帯スイレンの品種の幅広さを支えている。スイレン科の植物は、被子植物の中でも初期に分岐した系統群に位置づけられることから、花の基本構造には、甲虫による送粉に適応した祖先的な特徴が残されていると考えられている。
本群は、温帯性のスイレンに比べて花つきが良く、次々と花を咲かせる性質を持つことから、鉢植えや小規模な水鉢で手軽に楽しめる観賞用植物として人気が高い。日当たりの良い場所での栽培が基本であり、日照が不足すると開花しにくくなる。
耐寒性を持たないため、冬季には水温の管理や室内への取り込みが必要となる点が、栽培上の大きな課題となる。耐寒性の比較的強いムカゴ種であれば、軒下などで越冬させられる場合もあるが、地域や気候によって成否が分かれる。青や紫の花色を持つ品種や、夜間に大輪の花を咲かせる品種など、多彩な栽培品種が育成されており、夏の水辺を彩る植物として広く栽培される。
スイレン属(Nymphaea)は、スイレン目(Nymphaeales)に含まれるスイレン科(Nymphaeaceae)を構成する属の一つである。スイレン目は、単子葉類や真正双子葉類が分岐する以前の、被子植物の進化史のごく初期に分かれた基部被子植物の系統群の一つであり、現生の被子植物の中でも特に祖先的な形質を色濃く残す植物群として位置づけられる。このため、本属は単子葉類にも真正双子葉類にも属さない、独自の系統的位置を占める。
スイレン科の花に見られる、多数の花弁と雄しべがらせん状に配置される構造は、被子植物の花の進化における祖先的な状態を反映したものと考えられており、送粉様式においても、甲虫による送粉という祖先的な様式の名残が指摘されている。熱帯スイレンとして扱われる複数の亜属における、花色の多様化や夜咲き性の獲得は、それぞれ独立した環境(送粉者の活動時間帯や光条件など)への適応の中で進化してきた形質であると考えられ、スイレン属内における生態的多様化の一端を示すものといえる。
初版:2006-08-21.写真はピンクの花.京都府立植物園の温室前には白とブルーの花も[2006-08-19].この写真を整理している時に,私の母校が初優勝を決めた[2006-08-21]!
第2版:2026-07-20.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.