
Lychnis miqueliana Rohrb.
フシグロセンノウ[節黒仙翁]は, ナデシコ科センノウ属に属する多年草であり, 学名を Lychnis miqueliana Rohrb. とする植物である.日本固有種であり, 鮮やかな朱赤色[橙赤色]の花を咲かせる山野草として知られる.観賞価値の高さとともに, 山地の植物相においても特徴的な存在である.別名として「オウサカバナ[逢坂花]」「ゼニバナ」などがある.
フシグロセンノウはナデシコ科[Caryophyllaceae]に属し, 伝統的分類ではセンノウ属[Lychnis]に分類される.ただし, 近年の分子系統解析により, センノウ属は マンテマ属[Silene 属]に統合される傾向が強まっており, 日本のYListをはじめ多くの現代的データベースでは本種を Silene miqueliana として扱う場合がある.実態としてはすでにYListでのマンテマ属への移動が行われており, 「伝統的分類[センノウ属 Lychnis]」と「現代的分類[マンテマ属 Silene]」の間に揺らぎが存在する.本文では慣用的に広く用いられる Lychnis miqueliana を採用する.センノウ属[Lychnis]の属名は, ギリシャ語の「lychnos[炎・ランプ]」に由来し, 本属の植物の花色[緋色・火焔色]にちなんでいる.世界に約30種が知られ, 北半球に広く分布する.日本にはフシグロセンノウのほか, エゾセンノウ・エンビセンノウ・オグラセンノウ・マツモトセンノウ・センジュガンピなど約6種が分布する.種小名 miqueliana は, シーボルトと同時代にオランダのライデン大学で日本植物の研究に大きな貢献をしたドイツの植物学者 F.A.W.ミクエル[Friedrich Anton Wilhelm Miquel] に献名されたものである.ナデシコ科は真正双子葉植物に属し, 対生葉と5数性の花を基本とする大きなグループであり, 多くの草本植物を含む.現在の分類体系[APG分類]では「真正双子葉植物[コア真正双子葉類]」とより正確に位置づけられる.
本種は高さ40〜90cm程度に成長する直立性の多年草である.茎は上部で分枝し, まばらな軟毛がある.節部が太く膨らみ, 紫黒色[黒褐色]を帯びることが大きな形態的特徴であり, これが「フシグロ[節黒]」という和名の由来となっている.葉は無柄で茎に対生し, 卵形から長楕円状披針形[長さ5〜14cm・幅2.5〜5cm]で, 葉先は鋭く尖る.縁および脈上に毛がある.「無柄で基部は細まる」形状であり, 抱茎的にはつかない点を修正する.花期は7〜10月[秋まで咲き続ける].花は分枝した茎の先にまばらに数個つき, 朱赤色の5弁花を上向きに平開させる.花径は約5〜6cmと大きく, 日本の野草の中でも特に目立つ花色である.花弁は各々倒卵形で長さ2.5〜3cmあり, 先端は丸みを帯び, 切れ込みはない[あるいはごく浅い].本種の花弁の先端は基本的に切れ込まない[一方, 近縁のマツモトセンノウは花弁の先が浅く2裂し歯牙がある].また各花弁の基部には, 花弁と同色の副花冠片[鱗片]が2個ずつつくという特徴的な構造があり, これが「花の中心にもう一つ花がある」ように見える要因となる.雄しべは10本で, 5本ずつ2列につく.葯は紫色.花柱は5本あり, これに対応して果実は5裂する.萼は長さ2.5〜3cmの長円筒形で先が5裂し, 毛はない.果実は長楕円形の蒴果で先端が5裂して開き, 種子を散布する.種子は腎形で小突起を密生する.
フシグロセンノウは日本固有種であり, 本州・四国・九州に分布する.分布は本州においては関東地方以西の太平洋側の温暖な地帯に多く見られる.主に山地の林内・林縁・谷筋など, やや半日陰で適度な湿度を保つ場所に自生する.
本種は強い日差しを嫌い, 本体は藪の中に潜んで花序だけを外へ伸ばすような生育形態をとることも多い.乾燥には比較的弱く, 夏の高温多湿もやや嫌う傾向がある.
本種は多くの都道府県でレッドリストの指定を受けている.秋田県・佐賀県・長崎県・鹿児島県では絶滅が記録されており, 千葉県・石川県・山口県・愛媛県・高知県では危急種, 埼玉県・東京都・富山県・大分県では準絶滅危惧に指定されている[環境省のレッドリストには現在指定なし].減少の主な要因は森林の伐採・開発による生育地の消失と, 花が美しいことによる盗掘・採取圧である.
フシグロセンノウはその鮮烈な朱赤色の花により, 古くから観賞用・茶花・生け花・立花として珍重されてきた.山野草栽培においても人気が高く, 日本庭園の下草や鉢植えとして重要な位置を占める.
ただし, 高温多湿・過度の乾燥・強い直射日光を嫌うため, 栽培には落葉樹の下など明るい半日陰で適湿な環境が理想とされる.茎が折れやすいため, 支柱を立てる管理も行われる.野生個体の盗掘は保全上深刻な問題であり, 流通する個体は栽培品を用いることが望ましい.
「センノウ[仙翁]」という名称については, 二つの説がある.一つは約1300年頃, 留学僧が中国から持ち帰り, 京都嵯峨の仙翁寺[せんのうじ]で栽培・普及した園芸植物[センノウ]に花が似ることに由来するという説, もう一つは仙翁寺でその花が発見・記載されたことに由来するという説である.室町時代の文献には「仙翁花[せんのうげ]」の記載があり, 古くから知られていた花であった.
古く中国から伝わった園芸植物に由来するものの,京都・仙翁寺との結びつきが名称の核心であり, フシグロセンノウはこのセンノウと花が似ており, かつ茎の節が黒いことから「節黒仙翁」と命名されたものである.
別名「オウサカバナ[逢坂花]」は, 古来より山城国[京都]と近江国[滋賀]の国境にあった逢坂峠付近に多く自生していたことに由来する.
また, 属名 Lychnis は「炎」を意味するギリシャ語に由来し, 本属植物の緋色・火焔色の花色を表している点も文化的・語源的に興味深い.
本種は古来より茶花・生け花の花材として重視されており, 「山野草の美花」として江戸期以前から人々に親しまれてきた歴史を持つ.
日本に分布するセンノウ属[Lychnis 属]の近縁種との主な識別点は以下の通りである.
これらのセンノウ属近縁種はいずれも希少で保全上重要な種が多く, 属全体として生態的・保全的観点から注目される群である.
フシグロセンノウは, ナデシコ科に属する日本固有の多年草であり, 節部が紫黒色に膨らむ茎と朱赤色の大輪花という明瞭な形態的特徴を持つ.分類学的にはセンノウ属[Lychnis]とマンテマ属[Silene]の再編という現代的課題を内包しつつ, 生態学的には山地の半日陰環境に適応した植物である.多くの都道府県で絶滅や絶滅危惧の指定を受けている保全上重要な種でもあり, 観賞植物・茶花としての価値と野生植物としての保全的意義の双方を併せ持つ.自然史的・文化的・保全生態学的観点の複合的視点から重要な位置を占める種である.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.