
クロバナヒキオコシ(黒花引き起こし、学名はPlectranthus trichocarpus Maxim.、シノニムとしてIsodon trichocarpus(Maxim.)Kudo)は、シソ科(Lamiaceae)プレクトランサス属(Plectranthus)に属する多年生草本である。日本固有種であり、近縁種であるヒキオコシ(Plectranthus japonicus)と同様に強い苦味成分を有する薬用植物として知られる。和名は花の色が暗紫色を帯びて黒っぽく見えることに由来し、近縁のヒキオコシと区別するための名称である。
草丈は50から100センチメートル程度に達し、茎は四角柱状で直立し、しばしば分枝する。葉は対生し、卵形から広卵形で先端は鋭く尖り、縁には粗い鋸歯を持つ。葉の両面、特に裏面には細かい毛が密生し、触れるとやや粘性を感じることがある。
花期は秋であり、茎頂や葉腋から円錐花序を伸ばし、多数の小さな唇形花を密につける。花冠は暗紫色から暗青紫色を呈し、和名の由来ともなっているこの濃い花色が本種の識別上の重要な形質である。花冠は上唇と下唇に分かれ、下唇はやや前方に突き出す。萼は花後も残存して果実を包み、果実は4分果に分かれる分果(分離果)を形成する。全草に微細な腺毛を密生させ、これが特有の芳香と粘性の由来となっている。
日本固有種であり、本州の山地帯を中心に、林縁部や林床のやや明るい場所、渓流沿いの湿り気のある斜面などに生育する。近縁種であるヒキオコシと生育環境が重なることもあり、両種が混生する地域も知られている。
開花期の秋にはハナバチ類などの昆虫が訪花し、送粉を担う。種子は微細で、風や雨滴による散布のほか、動物や人の移動に伴う付着散布も一部関与すると考えられている。落葉広葉樹林の林床という半陰性の環境に適応し、過度な乾燥や強い直射日光を避けた立地を好む生態的特性を持つ。
全草、特に葉に強い苦味を呈するジテルペノイド類、とりわけエンメイン系のクレロダン型ジテルペンを含有することが本属植物に共通する大きな化学的特徴である。この著しい苦味成分が、経験的な健胃・整腸作用の根拠とされてきた。
近縁種ヒキオコシに含まれる主要苦味成分はエンメインとして知られるが、本種を含む近縁種群にも同様の骨格を持つジテルペノイド類が含まれることが報告されており、種間で成分組成にはある程度の類似性と差異の両方が見られるとされる。これらの成分は抗菌作用や抗炎症作用を有するとする研究報告もある。
近縁種であるヒキオコシが「延命草」の別名で古くから民間薬として用いられ、全草を乾燥させたものが健胃薬として利用されてきたのに対し、クロバナヒキオコシについても同様に、地域によっては民間薬として同様の目的で採取・利用されてきた歴史があるとされる。ただし薬用としての利用や知名度は、より広く流通するヒキオコシに比べると限定的である。
現代では専ら山野草として観察や採集の対象となることが多く、園芸的な流通は少ない。秋に暗紫色の小さな花を穂状に咲かせる姿は、地味ながらも山地の林床を彩る植物として一部の愛好家に親しまれている。
本種は被子植物のうち真正双子葉類(Eudicots)に属し、その中でもキク類(Asterids)と呼ばれる系統群に含まれる。さらに細分すると、シソ目(Lamiales)シソ科(Lamiaceae)に位置づけられる。シソ科の中では、ヤマハッカ連(Ocimeae)に属する系統群の一角を占める。
プレクトランサス属は、旧来ヤマハッカ属(Isodon)、コリウス属(Coleus)などとして別属扱いされてきた分類群を含む複合体であり、分子系統解析によってこれらの旧属が互いに単系統的にまとまらないことが示されたため、広義のプレクトランサス属として再統合する見解が提唱されている。クロバナヒキオコシが有する強い苦味ジテルペノイドの生合成能は、この複合群に広く共有される派生形質であり、東アジアの温帯林床という環境下での化学的防御機構の進化を反映したものと考えられている。
第2版:2026-07-26.
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