ナンブトウヒレン

概要

ナンブトウヒレン(南部塔飛廉、学名 Saussurea sugimurae Honda)は、キク科トウヒレン属(Saussurea)に属する多年生草本である。日本固有種であり、本州東北地方北部の太平洋側に偏って分布する。

和名の「ナンブ(南部)」は、本種の主要な分布域である旧南部藩領、すなわち現在の青森県南部から岩手県にかけての地域に由来する。種小名 sugimurae は、本種のタイプ標本を採集した植物採集家・杉村松之助への献名である。杉村は1929年に岩手県花巻市の台山でタイプ標本を採集し、植物学者・本田正次が1930年に記載発表した。

茎に明瞭な翼が発達すること、葉先が尾状に細く伸びること、花柄に褐色の多細胞毛が密生することなどが本種の主要な識別形質である。晩夏から初秋にかけて紅紫色の頭花を咲かせ、東北地方北部太平洋側の山地植生を特徴づける植物の一つである。

形態的特徴

ナンブトウヒレンは高さ30~120cmになる多年草である。茎は直立し、または先端の頭花の重みでたわんで斜上することがある。茎は上部でよく分枝し、縦に明瞭な翼が走る。

根出葉は花時には存在しない。葉は互生し、茎の下部につく葉の葉身は草質、卵形・狭卵形、ときにほこ形(矛形)になり、長さ10~18cm、先は尾状鋭突頭、基部は深い心形・円形から切形になる。縁には鋭い鋸歯がある。葉柄は長さ10~25cmに達し、明瞭な翼を持ち、その翼がそのまま茎の翼へ続く。茎の上部につく葉は上にいくほど小型になり、葉身は卵形から菱形になり、葉柄は短く、広い翼があって茎に沿下する。

花期は9~10月である。

頭状花序は茎頂や上部の葉腋に散房状に2~9個(またはそれ以上)が密集してつき、頭花の径は約2cmになる。花柄は長さ1~2cmで、褐色の多細胞毛が密生する。頭花は筒状花のみからなり、花冠の長さは12~14mm、色は紅紫色である。

総苞は長さ16~19mm、径15~18mmになる鐘形から筒形で、くも毛があり、緑色、ときに上部が紫色を帯びる。総苞片は7~8列あり、外片は基部が広卵形で先端が長く尾状に伸びる卵状披針形または線状披針形で、内片とほぼ同長かそれより長く、直立・斜上・開出する。

果実は長さ4~5mmになる痩果で、象牙色に暗紫褐色の条がある。冠毛は2輪生で、外輪は落ちやすく長さ2~6mm、内輪は花後にも残り長さ約11mmになる。成熟後は風によって散布される。

分布と生態

ナンブトウヒレンは日本固有種である。

本州東北地方の、青森県南部・岩手県・宮城県北部の太平洋側地域に偏って分布する。分布域は比較的狭く限定的であり、山地の夏緑林(落葉広葉樹林)の林下・林縁、林間の草地などに生育する。

太平洋側の比較的温暖で多雪でない地域を主な分布の場とするが、海岸近くの松林林床でも見られることがある。日当たりのよい林縁から半日陰の林内まで、幅のある光環境に適応している。

近縁のセンダイトウヒレン(S. sendaica)とは分布域が一部重複し、両者の識別が難しい個体も見られる。センダイトウヒレンと比較すると、本種は葉柄・茎の翼がより大きく発達し、総苞片の先端がより長く尾状に伸びる点などで区別されるが、境界域では中間的な個体も存在する。

花期の9~10月には、頭花にハナバチ類・アブ類・チョウ類などの訪花昆虫が集まり、晩秋の重要な蜜源植物として機能している。

種子には冠毛が発達しており、風散布によって林縁や林間の草地に定着する。

生理・化学的特徴

ナンブトウヒレンは冷温帯山地の夏緑林帯に適応した多年草である。

花時には根出葉が存在せず、地下根茎に蓄積された炭水化物を利用して毎年新たな地上茎を発達させる。春の萌芽から秋の開花・結実まで、比較的短い生育期間に集中して成長・繁殖を行う。

茎の翼は光合成補助面積の拡大や物理的支持に寄与している可能性が考えられる。葉先が尾状に細く伸びる形態は、葉面への水滴の集積を防ぐ「ドリップティップ」として機能するとも解釈されている。

トウヒレン属植物にはセスキテルペンラクトン類、フラボノイド類、フェノール性化合物などが含まれることが知られており、病原菌や植食動物に対する防御機能を持つとともに、抗酸化作用にも関与していると考えられている。

紅紫色の花冠にはアントシアニン色素が含まれ、昆虫の誘引および紫外線防御に寄与していると考えられる。総苞が緑色でときに上部が紫色を帯びることも、アントシアニン系色素の局所的な蓄積によるものと推定される。

耐寒性は高く、積雪下で地下根茎によって越冬することができる。

人との関わり

ナンブトウヒレンは東北地方北部の山地を代表する秋の植物の一つとして、植物愛好家・自然観察者の間で知られている。

秋口に咲く紅紫色の頭花は美しく、林縁や草地を彩る存在として親しまれている。また、本種の分布域である旧南部藩領は、古くから植物採集の記録が蓄積されてきた地域であり、日本植物学史との深い関わりを持つ。

近縁種との識別が難しいことから、植物分類学・植物地理学の研究対象として継続的な関心が寄せられており、東北地方のトウヒレン類の分類整理においても重要な位置を占めている。

分布域が東北地方北部の太平洋側に限定されることから、本来から個体数・生育地ともに多くない種である。生育環境となる夏緑林の林縁や林間草地の管理放棄による植生変化、開発による生育地の消失などが保全上の懸念として挙げられる。

系統的位置と進化的特徴

ナンブトウヒレンはキク科(Asteraceae)トウヒレン属(Saussurea)に属する。本属はアザミ亜科(Carduoideae)に置かれることが多いが、採用する分類体系によって亜科の扱いが異なる場合もある。

トウヒレン属はユーラシア大陸の温帯から寒帯・高山帯を中心に500種以上が分布する大きな属であり、特にヒマラヤ山脈、チベット高原、東アジアは種分化の中心地として知られている。

日本列島には数十種以上のトウヒレン類が分布し、その多くが固有種または地域固有の変異群である。東北地方には本種のほか、センダイトウヒレン(S. sendaica)・フボウトウヒレン(S. fuboensis)・イワテヒゴタイ(S. brachycephala Franch. )など複数の固有種・地域種が知られており、東北地方は日本産トウヒレン類の多様性の中心の一つとなっている。

本種と近縁のセンダイトウヒレンとは分布域・生育環境が一部重複するが、本種がより北方の太平洋側に偏って分布するのに対し、センダイトウヒレンは奥羽山脈南部の低地を中心に分布する傾向があり、地理的・生態的に棲み分けている。また、センダイトウヒレンとフボウトウヒレンが奥羽山脈南部で垂直的に棲み分けているのとは異なり、本種は東北地方北部太平洋側という水平的・地理的に独自の分布域を持つ。

第四紀の氷期・間氷期の繰り返しによる気候変動と林帯の移動に伴い、個体群が地域的に隔離・分化した結果、現在の東北地方における多様なトウヒレン類の地域分布パターンが形成されたと考えられている。ナンブトウヒレンはそのような東北地方固有の進化史を反映する植物であり、日本列島東北部の山地植物相の成立と多様化を理解する上で重要な種といえる。


第1版:2022-08-15.
第2版:2026-06-07.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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