シラネニンジン

概要

シラネニンジン(白根人参、学名 Tilingia ajanensis Regel)は、セリ科(Apiaceae)シラネニンジン属(Tilingia)に属する多年生草本である。北海道から本州中部地方以北の亜高山帯・高山帯に分布し、日本国外ではシベリア東部・ロシア極東部・朝鮮半島・中国東北部にも見られる。

和名の「シラネ」は本種が最初に採集された地とされる栃木県の日光白根山に由来し、「ニンジン」は羽状に細く裂けた葉がニンジン(セリ科の野菜)の葉に似ることに由来する。別名をチシマニンジンともいう。

学名については分類学的見解の相違があり、花柱の付け根にある柱下体(stylopodium)の形状や果実の稜の発達程度の差異が小さいことを理由に、Flora of China ではマルバトウキ属(Ligusticum)に含め Ligusticum ajanense として扱い、ロシアの文献ではハマゼリ属(Cnidium)に含める処理もある。日本の植物誌では シラネニンジン属(Tilingia)を独立して認める扱いが一般的であるが、属の境界については研究者間で見解が一致していない。高山帯の草地を代表するセリ科植物として広く知られており、白色の複散形花序を風になびかせる姿は夏山の草原を特徴づける景観の一つである。

形態的特徴

シラネニンジンは高さ10~40 cm程度になる多年草である。生育環境によって草丈の変異が大きく、高山帯の厳しい立地では特に小型になる傾向がある。植物体はほぼ無毛である。

根茎は短くやや太く、根は細長い。茎はほぼ花茎状態に近く、茎葉はごく少数(0~3個)しかつかないことが多い。これは同属のイブキゼリモドキ(茎に葉が多数つく)との識別点の一つとなっている。

葉は根生葉と茎葉からなる。根生葉には長い葉柄があり、葉身は2~4回3出羽状複葉で、最終裂片は線形から狭長楕円形、長さ5~20 mm、幅1~5 mm程度で変異が大きい。葉の上面は光沢のある濃い緑色を呈する。茎葉は上部ほど著しく小さくなり、しばしば葉柄が鞘状に変化する。茎葉の葉柄基部が赤みを帯びた鞘状に膨らむ点も本種の識別に有用な形質である。

花期は7~9月である。茎頂または分枝した先端に複散形花序をつける。大散形花序の柄(rays)は5~10本で長さ1.5~2.5 cm。総苞片は線形で1~2個(または少数)、小総苞片も線形で少数つく。花は直径2~3 mmの小さな白色の5弁花で、花弁は先端が内側に曲がる。雄しべは5個で、葯は紫褐色を帯びることが多く、白色の花との色彩的なコントラストが観察される。萼歯は微細で目立たない。花柱は長さ1 mm以下と短く、柱下体(stylopodium)とほぼ同長かわずかに長い。なお花が赤みを帯びることがあり、これは個体変異として知られている。

果実は分果(2分果からなる)で、やや扁平な卵形から長楕円形、長さ約2.5~3 mm。稜(果実の縦の隆条)は発達するが広い翼状にはならず、隆条はほぼ均等に並ぶ。油管は分果の各背溝下に1個、合生面(両分果が接する面)に2~4個ある。この油管の配置はセリ科植物の果実同定において重要な形質である。種子は各分果に1個含まれる。染色体数は2n=22。

分布と生態

シラネニンジンは北海道および本州中部地方以北に分布し、国外ではシベリア東部・ロシア極東部・朝鮮半島・中国(東北部)にも見られる。日本での分布中心は中部山岳地帯から東北・北海道の山岳地帯にかけてであり、比較的広く普通に見られる高山植物の一つである。

主な生育地は亜高山帯から高山帯にかけての日当たりのよい草地・草原・湿った斜面・湿原周辺である。湿り気のある土壌を好み、群生することも多い。

同じ草地環境にはハクサンイチゲ・ウサギギク・ミヤマキンポウゲ・ヨツバシオガマなど多くの高山植物が共存し、シラネニンジンはこうした高山草原植生の構成種の一つとなっている。

同属の近縁種で外見がよく似るミヤマウイキョウ(Tilingia tachiroei)は葉の最終裂片が糸状になること・礫地を好むことで区別される。

花には小型のハナバチ類・ハナアブ類・チョウ類など多様な訪花昆虫が訪れる。セリ科植物の複散形花序は多数の小花が平坦な花盤状に集合する構造であり、体の小さな多様な昆虫が容易に花へアクセスできる汎化型の送粉様式に対応した花型と考えられている。

種子は果実ごと風・重力によって散布され、分果に発達した稜は風散布の補助に寄与する可能性がある。

生理・化学的特徴

シラネニンジンは高山帯の厳しい環境に適応した植物である。植物体がほぼ無毛であることは、高山帯の強風環境において毛が物理的に不利になる場合があることと関連している可能性があるが、この点についての詳細な研究は限られている。

セリ科植物全般の特徴として、植物体には精油成分(テルペン類・フェニルプロパノイド類など)が含まれ、油管(vittae)に貯蔵される。シラネニンジンにおいても果実・茎・葉に精油成分が含まれると考えられるが、本種固有の成分分析に関する詳細な研究報告は限られており、具体的な成分の特定は今後の課題である。

セリ科高山植物の多くがそうであるように、高山帯の強い紫外線に対応するためフラボノイド類・フェノール性化合物が蓄積されていると考えられる。

根茎に養分を蓄積して越冬し、融雪後に速やかに生長を再開する多年草としての生活様式は、短い高山帯の生育季節への適応戦略である。

葉の光沢は表面のクチクラ層の発達によるものとされ、高山帯の強い日射・乾燥・低温に対する複合的な保護機能を担うと考えられている。

人との関わり

シラネニンジンは高山帯の草地を彩る植物として、登山者・自然観察愛好家に知られている。華やかさはないが、細く繊細な葉と白い小花の集まりが高山草原の景観に独特の雰囲気をもたらす植物として、高山植物図鑑や山岳写真の被写体となることも多い。

食用・薬用の利用に関する明確な記録はほとんどない。セリ科には食用種・薬用種・有毒種が混在しており、本種についても素人による採食は避けるべきである。

園芸的な利用はほぼ記録されていないが、高山植物専門の植物園においては生態展示の対象となることがある。

系統的位置と進化的特徴

シラネニンジンはセリ科(Apiaceae、旧称 Umbelliferae)シラネニンジン属(Tilingia)に属する。セリ科はキク目(Asterales)と同じく APG 分類体系ではキキョウ類(Campanulids)に位置づけられるセリ目(Apiales)に含まれ、ウコギ科(Araliaceae)と近縁である。セリ科は世界に約400属3700種が知られる大きな科であり、複散形花序・分果・油管などの特徴的な形質を共有する。

シラネニンジン属(Tilingia)は日本・シベリア東部・ロシア極東部・朝鮮・中国に5種が知られる小さな属である。果実の稜がマルバトウキ属(Ligusticum)に比べてやや発達が弱いことで区別されるとされてきたが、この差異が属を分ける根拠として十分かどうかは議論がある。日本産植物の分類では Tilingia を独立属として扱う立場が広く採用されているが、Flora of China では マルバトウキ属(Ligusticum)に含め、ロシアの文献では ハマゼリ属(Cnidium)に含める処理もあり、国際的な見解は統一されていない。

シラネニンジン属内には以下の変種・品種が記載されている。ヒロハシラネニンジン(f. latisecta)は最終裂片の幅が広いもの、ホソバシラネニンジン(f. pectinata)は裂片が特に細いもの、ヒメシラネニンジン(var. angustissima)は北海道日高山脈固有の変種で超塩基性岩地帯に生育する小型のものである。但し、 POWO(Plants of the World Online)はこれら下位分類を認めていない。葉の裂片幅は連続的な変異を示すことが多く、品種・変種区分の妥当性には今後の検討が必要である。

分布域が日本列島から東アジア・ロシア極東にかけて連続的に広がる環北太平洋要素的な分布様式を持ち、氷期における分布拡大と温暖化後の山岳地帯への後退という歴史が現在の分布を形成したと考えられている。


第1版:2021-07.
第2版:2026-06-09.

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