
シラゲテンノウメ(Prunus maximowiczii var. pilosa)は、バラ科(Rosaceae)サクラ属(Prunus)に属する落葉小高木または低木である。テンノウメ(Prunus maximowiczii)の変種として位置づけられており、基本種との主たる相違点は葉や枝などに密な毛が生じる点にある。和名「シラゲテンノウメ」の「シラゲ」は「白毛(しらげ)」を意味し、葉や若枝に生じる白色の柔毛に由来する。日本の山地帯から亜高山帯にかけて分布し、林縁や低木林の構成種として知られる。花は白色で小型、春に咲き、果実は小さな核果となる。分類上はサクラの仲間でありながら、桜の華やかさとは異なる素朴な趣をもつ植物である。
シラゲテンノウメは樹高が1〜5メートル程度の落葉小高木ないし低木で、樹皮は灰褐色から暗褐色を帯び、成木では縦に浅く裂けることがある。若い枝は緑色ないし赤褐色で、基本種と区別される最大の形質として、枝・葉柄・葉裏の脈上に明瞭な白色の軟毛が密生する点が挙げられる。
葉は互生し、形は楕円形から倒卵状楕円形で、長さは4〜10センチメートル程度、幅は2〜5センチメートル程度である。葉先は鋭く尖り、基部はくさび形ないし円形、葉縁には不規則な重鋸歯がある。葉表は濃緑色で光沢はなく、葉裏は淡緑色となり、特に主脈・側脈に沿って白色の軟毛が密に残る。葉柄は長さ5〜15ミリメートル程度で、同様に白毛が生じる。基本種であるテンノウメでは毛がほとんどないか疎毛であるのに対し、本変種では毛が顕著に発達する点が識別の鍵となる。
花は総状花序に数個から十数個まとまってつき、白色で直径8〜12ミリメートル程度の小型の花を咲かせる。花弁は5枚で楕円形から倒卵形、萼裂片は5枚で、花後に反り返る傾向がある。雄蕊は多数あり、花糸は白色である。開花期は5月から7月頃で、生育地の標高によって変動する。果実は核果で直径5〜8ミリメートル程度の球形ないし楕円形、熟すと赤色から黒紫色に変わる。核(種子を包む内果皮)は硬く、表面には縦の稜が入る。
シラゲテンノウメは日本固有あるいはほぼ日本に限定された分布をもつ変種であり、本州の中部地方以北から北海道南部にかけての山地帯から亜高山帯の林縁・落葉広葉樹林内・低木林に生育する。標高は概ね500〜2000メートル程度の範囲に多く見られ、日当たりのよい林縁や岩礫地の斜面を好む傾向がある。
生育環境としては、ブナ帯やミズナラ帯などの冷温帯落葉広葉樹林の林縁部や、雪解けの遅い谷筋・斜面などに分布することが多い。土壌は比較的乾燥気味から中程度の湿度の腐植土質を好み、強い日照条件下でも生育できる耐光性の高い植物である。冬季には落葉し、積雪地帯でも越冬する耐寒性を備えている。
果実は鳥類によって採食・散布されることが多く、特にツグミ類やヒヨドリなどが果実食者として知られる。花にはハナバチ類や小型のハエ類などが訪花し、花粉媒介を担う。葉はマメコガネなどの昆虫類に食害を受けることがあるが、顕著な食草性昆虫との特異的な関係は現時点では特に知られていない。
シラゲテンノウメはサクラ属の他の種と同様に、青酸配糖体(シアノゲン配糖体)の一種であるアミグダリン(amygdalin)やプルナシン(prunasin)を葉・樹皮・種子などに含むと考えられている。これらの化合物は植物体が損傷を受けた際に酵素の作用で分解され、揮発性の青酸(シアン化水素)を生じる。この機構は草食動物や病原菌に対する化学的防御として機能すると解釈されている。
葉に含まれるポリフェノール類(フラボノイドやタンニン)も化学防御・紫外線防御に寄与していると考えられ、サクラ属の代謝産物として広く知られる成分群である。本変種に特有の詳細な化学成分の分析報告は限られており、基本種テンノウメおよびサクラ属全般の知見が類推の根拠とされることが多い。
葉裏の毛(トリコーム)は、単なる形態的特徴にとどまらず、葉面の過剰な蒸散を抑制し、低温・乾燥・強風などの山地環境ストレスを緩和する機能的意義をもつと考えられている。山地帯の厳しい環境条件への適応として毛が発達した可能性が指摘されている。
シラゲテンノウメは桜のような観賞用途での栽培はほとんど行われておらず、主に山岳地帯の自然植生の構成種として認識されている。登山者や植物愛好家が山地において観察・同定する対象となっており、テンノウメとの識別が野外観察の際に話題となることが多い。
果実は小さいながらも食用可能であり、かつては山村において野山の果実として採取されることもあったと考えられるが、現代では積極的に食料として利用される事例は少ない。種子(核の中の仁)には青酸配糖体が含まれるため、生食には注意を要する。
木材としての用途は樹体が小さいため材木利用には向かず、特段の用材としての記録は見られない。民間薬としての利用もサクラ属の他種(ウワミズザクラの樹皮など)に比べて記録は少なく、本種・本変種に特化した伝統的利用の詳細は明確でない部分も多い。
植物分類学的な観点からは、テンノウメおよびその変種群の分類整理において標本・記録が重要視されており、植物標本館(ハーバリウム)における標本保存と形態記録の蓄積が学術的貢献として位置づけられている。
シラゲテンノウメが属するサクラ属(Prunus)は、バラ科(Rosaceae)スモモ亜科(Prunoideae)に含まれる。分子系統学的解析によれば、バラ科は真正双子葉類(Eudicots)のうちバラ類(Rosids)に位置し、さらにアブラナ目などとともにEurosids IIを構成するという見解もあったが、近年のAPG体系(APG IV)においてバラ目(Rosales)として整理されている。バラ目はイラクサ科・クワ科などを含む多様な目であり、その中でバラ科は核果・偽果・そう果など多様な果実型を進化させた大科である。
サクラ属は核果を生産するサクラ亜属・スモモ亜属・アーモンド亜属などに細分されることもあるが、現代の分子系統解析では属の単系統性が支持されており、伝統的な広義のサクラ属(Prunus s.l.)が維持される傾向にある。テンノウメ(Prunus maximowiczii)はサクラ属の中でも比較的原始的な総状花序の形質を保持するグループとされており、バラ科における核果形成と総状花序の進化を考える上で興味深い系統的位置を占める。
本変種シラゲテンノウメは、基本種テンノウメからの変異として葉や枝の毛の発達が顕著な個体群として認識されており、毛の密度は連続的な変異を示すことも指摘されている。変種レベルの認識については研究者によって見解が異なり、種内変異の一形態として処理する立場もある。毛の発達という形質は、サクラ属内でも複数の系統で独立して進化した可能性があり、収斂進化や表現型可塑性の観点からも注目される特徴である。分子系統学的手法によるテンノウメ複合体の詳細な解析は、今後の研究課題として残されている。
第1版:2021-07.
第2版:2026-06-17.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.