
ハハジマノボタン(Melastoma tetramerum var. pentapetalum)は、フトモモ目ノボタン科(Melastomataceae)ノボタン属(Melastoma)に属する常緑低木である。小笠原諸島の母島およびその属島のみに自生する固有の変種であり、同じくノボタン属のムニンノボタン(Melastoma tetramerum var. tetramerum)とは同種の別変種の関係にある。和名は自生地である母島(ははじま)にちなんで付けられており、「母島の野牡丹」を意味する。
本変種は、大陸とかつて一度も陸続きになったことのない海洋島である小笠原諸島の独特の隔離環境の中で分化したと考えられており、生物地理学的にも進化学的にも注目される存在である。生育個体数が極めて少なく、高い絶滅リスクを抱えている希少植物でもある。
樹高はおよそ1〜1.5 mほどの常緑低木であり、枝を多数分枝させながら成長する。枝や葉柄には褐色の粗毛(剛毛)が密生しており、触れるとざらつく感触がある。この粗毛の被覆はノボタン属全般に共通する特徴でもある。
葉は単葉で対生し、卵状楕円形から長楕円形を呈する。葉の表裏ともに毛が生え、葉面には数本の著しい縦脈(弧状脈)が走るのが特徴的で、これもノボタン科植物に広く見られる形質である。
花は枝先に単生または少数が集まって咲く。本変種の最も顕著な形態的特徴は花弁の数にあり、淡桃色(淡い紅紫色)の花弁を5枚もつ5数性の花を形成する。これは基本変種であるムニンノボタン(花弁4枚・白色)とは明確に異なる特徴である。花の直径はおよそ4〜5 cmであり、ムニンノボタンと比較するとやや大きい。雄蕊は花弁数の2倍である10本あり、長短2型に分かれている。花糸は異なる形態を示し、一方の雄蕊群は大きく湾曲した葯をもち、もう一方は比較的直線的な葯をもつ。このような二形雄蕊(heteranthery)はノボタン属の特徴的な形質である。雌蕊は1本で、細長い花柱をもつ。
果実は球形または壺形の液果状の蒴果であり、熟すと黒紫色の多汁質な果肉を包む。果実の表面には褐色の硬い毛が密生する。種子は極めて微細である。
ハハジマノボタンは小笠原諸島の母島列島のみに自生し、他の地域には天然分布しない固有変種である。母島においては乳房山(標高462 m)の登山道沿いに見られ、とりわけ標高300 mから山頂付近にかけての湿性高木林内や林縁部に生育していることが知られている。標高の高い山地帯の湿潤な環境を好む傾向があり、海岸付近の低地にはほとんど見られない。
花期は主に6〜8月であり、夏のシーズンに開花する。ノボタン属の花は送粉者としてハナバチ類に強く依存することが知られており、ハハジマノボタンの送粉についても在来ハナバチ類が重要な役割を果たすと考えられている。しかし小笠原諸島においては、外来爬虫類であるグリーンアノール(Anolis carolinensis)の定着による固有昆虫類の捕食圧の上昇が深刻な問題となっており、送粉昆虫の減少が在来植物の結実に影響を及ぼしていることが指摘されている。果実は多汁質であり、鳥類などによる種子散布が行われると考えられる。
生育個体数は非常に少なく、自然個体群は限られた範囲にしか存在しない。小笠原諸島が世界自然遺産に登録されている(2011年)ことから、この固有植物を含む島の生態系の保全が国際的にも重要視されている。
ノボタン属全般の特徴として、果実に黒紫色のアントシアニン系色素が豊富に含まれており、果実を口にすると口腔内が黒く染まることが知られている。属名 Melastoma はギリシャ語の melas(黒い)と stoma(口)に由来し、まさにこの性質を反映したものである。ハハジマノボタンの果実についても同様の色素が含まれると考えられる。
花粉は花弁と同様の色素を持たず、二形雄蕊のうち大型の葯から放出される花粉が実際の受精に関わる「給餌花粉(feeding pollen)」とは機能的に異なるという説も提唱されているが、本変種の詳細な花粉生理については未解明の部分も多い。
ノボタン科植物は一般に酸性から中性の土壌に適応し、やせた土地でも生育可能な傾向がある。小笠原の火山性の痩せた土壌環境への適応も本変種の生理的特性のひとつと考えられる。
ハハジマノボタンは母島を訪れる自然愛好家や観光客にとって、夏季に観察できる貴重な固有植物として知られている。乳房山のトレッキングルートは整備されており、湿性高木林内での本種の開花を観察できる場として人気がある。特別天然記念物であるハハジマメグロ(Apalopteron familiare hahasima)をはじめとする多数の固有生物とともに、母島の自然の象徴的な存在のひとつになっている。
本種は極めて限られた分布域と少ない個体数ゆえに、保全上の対応が求められている。外来植物の侵入や外来動物による生態系攪乱が脅威となっており、小笠原諸島の固有植物全体の保全戦略の中で本種も重要な位置を占めている。
学術的な側面では、東京大学の研究機関をはじめとする機関が小笠原の固有種保全に取り組んでおり、近縁のムニンノボタン(基本変種)については一時は1株のみとなった極限状態から人工増殖・野外移植によって個体群の回復が図られた事例がある。このような保全実践の知見は、ハハジマノボタンを含む小笠原固有植物全体の保全に活かされている。
ハハジマノボタンは、APG体系(被子植物系統群研究グループによる分類体系)においてバラ類(Rosids)の中のフトモモ目(Myrtales)に位置するノボタン科(Melastomataceae)に属する。ノボタン科は約180属5,000種以上から構成される大きな科であり、熱帯・亜熱帯に広く分布する。特に南米に種の多様性の中心があるが、アジア・太平洋地域のノボタン属(Melastoma)もこの大科の中の一群を形成する。
ノボタン属 Melastoma は東南アジアから東アジアにかけて分布し、日本においては南西諸島にノボタン(Melastoma candidum)が、そして小笠原諸島にムニンノボタン(M. tetramerum)とその変種であるハハジマノボタン(M. tetramerum var. pentapetalum)などが自生する。
ハハジマノボタンはムニンノボタンの変種として位置づけられており、基本変種との違いは主に花弁数(4枚に対し5枚)と花色(白色に対し淡桃色)にある。このような同属・同種内での島ごとの分化は、大陸から遠く離れた海洋島における隔離進化の典型的な様式を示している。小笠原諸島は一度も大陸と陸続きになったことのない典型的な海洋島であり、祖先となる種が海流・風・鳥などによって偶発的に到達した後、各島の環境に適応しながら固有の変種・種へと分化していったと考えられる。父島のムニンノボタンと母島のハハジマノボタンという近縁変種の島間分化は、このような小笠原における島嶼適応進化の好例である。ノボタン属においてはしばしば属間・種間の交雑が報告されており、小笠原の固有変種群の分化過程においても交雑や遺伝的浮動が重要な役割を果たした可能性がある。
第1版:2021-07.
第2版:2026-06-22.
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