
ヒペリクムは、キントラノオ目(Malpighiales)オトギリソウ科(Hypericaceae)オトギリソウ属(Hypericum)に属する植物の総称である。オトギリソウ属は世界に約500種以上を擁する大属であり、熱帯山地から温帯・亜寒帯にかけて広く分布する。日本に自生する代表的な種としてオトギリソウ(Hypericum erectum Thunb.)やコケオトギリ(Hypericum japonicum Thunb.)などが知られる一方、園芸植物として広く普及しているヒペリクム・カリシナム(Hypericum calycinum L.)やヒペリクム・モゼリアヌム(Hypericum × moserianum André)なども広く栽培されている。また、セイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum L.)は西洋ハーブ・薬用植物として世界的に著名であり、抗うつ作用をもつハーブサプリメントとして現代においても広く利用されている。さらに、キンシバイ(Hypericum patulum Thunb.)の園芸品種であるヒペリクム・パツルム「ヒドコート」(Hypericum patulum Thunb. cv. Hidcote)は、世界的に最も広く普及した庭園用低木品種のひとつとして重要な位置を占める(写真はヒドコート)。ヒペリクムという名称は園芸・切り花の世界では属名をそのままカタカナ表記したものとして定着しており、特に果実を観賞する品種群が切り花素材として重要な商品作物となっている。
オトギリソウ属(Hypericum)は草本・低木・高木まで多様な生育形をもち、草丈・樹高は種によって数cmから数mまで幅広い。茎は円形または稜をもつ場合があり、種によっては翼状の突起を有する。葉は対生し、葉身は卵形〜長楕円形・線形など種によって異なる。本属の最も顕著な形態的特徴のひとつは、葉に透明または黒色の腺点(油点)が散在することである。透明な腺点は精油を含む分泌組織であり、葉を光に透かすと点状の透過部位として観察される。黒色腺点はヒペリシン(hypericin)などのナフトジアントロン系色素を含む分泌組織であり、葉縁や葉面に点状または線状に分布する。この黒色腺点の有無と分布パターンは種同定の重要な形質となる。
花は黄色が基本であり、5枚の花弁と5枚の萼片をもつ。雄蕊は多数で束状に集まり、3〜5束の雄蕊群(ファランクス)を形成することが多い。この多数の雄蕊が花の中心で金糸状に広がる様子は本属の花の視覚的特徴のひとつである。雌蕊は1本で、花柱は3〜5本に分かれる。果実は多くの種で朔果であり、成熟すると3〜5裂して微細な種子を散布するが、一部の種では液果状となる。園芸品種では赤・白・桃色・黄色など多彩な果実色を示す品種が育成されており、切り花素材としての観賞価値を高めている。
セイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)は草丈30〜90cm程度の多年草であり、茎に2本の縦稜をもつことが特徴的である。葉には透明腺点が多数散在し、葉を光に透かすと穿孔状に見えることが種小名 perforatum(穿孔のある)の由来となっている。
キンシバイ(Hypericum patulum Thunb.)は日本・中国原産の半常緑低木であり、樹高は通常50〜100cm程度となる。枝は細くアーチ状に垂れ下がる傾向があり、葉は卵形〜長卵形で対生する。花は径3〜5cm程度の大型の黄色花であり、5枚の広い花弁と多数の雄蕊が印象的な外観を呈する。その園芸品種であるヒペリクム・パツルム「ヒドコート」(Hypericum patulum Thunb. cv. Hidcote)は原種に比べて花径が特に大きく、径5〜6cmに達する鮮黄色の大輪花を咲かせることで知られる。樹高は60〜120cm程度で半常緑〜落葉性を示し、気候によって越冬時の落葉の程度が異なる。花弁はやや重なり合って椀状に開き、中心に多数の雄蕊が放射状に広がる姿は特に観賞価値が高い。萼片は5枚で卵形、花後もしばらく残存する。本品種は稔性が低く結実しにくいため、増殖は主に挿し木によって行われる。
オトギリソウ属(Hypericum)は南極大陸を除く全大陸に分布する広域分布属であり、特に地中海地域・東アジア・北アメリカに種の多様性の中心がある。熱帯では主に高山帯に分布し、温帯では平地から亜高山帯まで幅広い標高域に生育する。
生育環境は種によって大きく異なるが、多くの種は草地・林縁・岩場・河川敷など比較的開けた日当たりのよい場所を好む。セイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)は原産地のヨーロッパから世界各地に帰化しており、日本でも北海道を中心に帰化植物として定着が確認されている。牧草地や荒地に侵入し、家畜がこれを採食すると光過敏症を引き起こすことがあるため、一部の国では有害雑草として管理の対象となっている。
日本自生のオトギリソウ(Hypericum erectum)は山地の草地・林縁・湿った草原などに生育し、夏に黄色い花を咲かせる。花期は7〜9月である。受粉は主に昆虫媒介によるが、自家受粉も可能な種が多い。種子散布は主に重力散布であるが、一部の種では果実が液果状となり鳥散布も行われる。
キンシバイ(Hypericum patulum Thunb.)は中国中部・西部から日本(本州中部以西・四国・九州)にかけて分布し、山地の林縁や岩場などに自生する。日本では江戸時代に中国から渡来した帰化植物との見方もある。その園芸品種であるヒドコートは栽培環境下でのみ存在し、イギリスのグロスターシャー州に所在する著名な庭園「ヒドコート・マナー・ガーデン」において20世紀初頭に選抜・育成されたとされる。耐寒性・耐暑性ともに比較的強く、日本の温帯域では広く庭園植栽が可能である。
オトギリソウ属(Hypericum)は多様かつ特徴的な二次代謝産物を産生することで知られ、その化学的多様性は薬理学的観点から広く研究されている。
最も著名な成分はナフトジアントロン(naphthodianthrone)系色素であるヒペリシン(hypericin)およびシュードヒペリシン(pseudohypericin)である。これらは葉・茎・花に存在する黒色腺点に局在する赤色〜暗赤色の色素であり、強い光増感作用をもつ。ヒペリシンは紫外線照射下で一重項酸素を発生させ、この性質が家畜の光過敏症の原因となる一方、光線力学的療法(PDT)における抗腫瘍活性の研究対象ともなっている。また、ヒペリシンは抗ウイルス活性(特にエンベロープウイルスに対する活性)が報告されており、HIV・インフルエンザウイルスなどへの作用が研究されている。
フロログルシノール(phloroglucinol)誘導体であるヒペルフォリン(hyperforin)は透明腺点に含まれ、セイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)の抗うつ作用の主要な活性成分のひとつとされる。ヒペルフォリンはセロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンなど複数の神経伝達物質の再取り込みを阻害することが示されており、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)とは異なるメカニズムで作用する可能性が指摘されている。
フラボノイド類も豊富に含まれ、ルチン(rutin)、ヒペロシド(hyperoside)、クエルセチン(quercetin)などが同定されている。これらは抗酸化・抗炎症活性をもち、ヒペリシン・ヒペルフォリンとともに相乗的な薬理効果を発揮すると考えられている。
キンシバイ(Hypericum patulum)およびその品種ヒドコートに関する化学的研究は、セイヨウオトギリソウほど詳細には蓄積されていないが、同属他種との類推からフラボノイド類・キサントン類・精油成分などを含む可能性がある。観賞用途が主体の本品種については薬理学的利用は行われていない。
なお、セイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)のエキスはCYP3A4・P糖タンパク質などの薬物代謝酵素・トランスポーターを誘導することが明らかになっており、多くの医薬品(免疫抑制剤・抗HIV薬・経口避妊薬・ワルファリンなど)との相互作用を引き起こす可能性があることが広く警告されている。
ヒペリクム属の植物は古来より民間薬・宗教・文化において重要な役割を果たしてきた。ヨーロッパではセイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)が古代ギリシャ・ローマの時代から薬用植物として利用されており、古代の医師たちは傷の治癒・神経痛・抑うつなどへの効能を記録している。中世ヨーロッパでは悪魔除けの薬草としての信仰と結びつき、聖ヨハネの日(6月24日)前後に採集する習慣があったことから「セント・ジョーンズ・ワート(St. John's Wort)」の英名が定着した。
日本においてはオトギリソウ(Hypericum erectum)が古くから止血・消炎の民間薬として利用されてきた。和名「弟切草」は平安時代の鷹匠・秦兼盛が鷹の傷を癒す薬草の秘密を弟が漏らしたために弟を切り殺したという伝説に由来するとされ、この名が示すように薬効への強い信仰が植物名に刻まれている。
現代においてセイヨウオトギリソウ(Hypericum perforatum)は軽度〜中等度のうつ病・不安障害に対するハーブサプリメントとして世界的に広く利用されており、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国では医薬品として承認されている国もある。複数の臨床試験において軽度うつ病に対してプラセボより有意な効果が示されており、一部の試験では標準的な抗うつ薬と同等の効果が報告されている。
園芸・切り花の分野においてもヒペリクムは重要な位置を占める。特に果実を観賞するために育成された品種群(Hypericum × inodorumの改良品種など)は切り花素材として国際的な需要があり、日本でも主要な切り花品目のひとつとなっている。果実色は赤・白・黄・オレンジ・サーモンピンクなど多彩であり、フラワーアレンジメントにおいて重要なアクセント素材として用いられる。
庭園用低木としてはヒペリクム・パツルム「ヒドコート」(Hypericum patulum Thunb. cv. Hidcote)が特筆される。本品種はイギリスのヒドコート・マナー・ガーデンで選抜育成されたとされ、20世紀を通じてヨーロッパ・北アメリカ・日本など世界中の庭園に急速に普及した。耐寒性・耐暑性・耐乾燥性に優れ、強健で管理が容易であることから公共緑地・家庭庭園・法面緑化など幅広い用途で植栽されている。夏期に咲く大型の鮮黄色花は観賞価値が高く、半常緑性のため冬季も一定の緑量を保つことができる点も実用的な美点として評価されている。日本では「キンシバイ」の名で流通することもあるが、厳密には原種のキンシバイ(Hypericum patulum)とは区別される。また低木性の種はグラウンドカバーとして広く利用されており、ヒペリクム・カリシナム(Hypericum calycinum L.)は常緑性の強健なグラウンドカバー植物として世界中の庭園で植栽されている。
ヒペリクム(オトギリソウ属、Hypericum)が属するオトギリソウ科(Hypericaceae)は、被子植物の中のクレードである真正双子葉類(Eudicots)、さらにロシッド類(Rosids)のクレードであるマルピーギ類(Malpighiales)に包含されるキントラノオ目(Malpighiales)に位置づけられる。APG体系においてキントラノオ目はロシッド類の中でも多様性に富んだ目のひとつであり、スミレ科(Violaceae)・トウダイグサ科(Euphorbiaceae)・ヤナギ科(Salicaceae)・アマ科(Linaceae)など形態的に多様な科を含む。
オトギリソウ科(Hypericaceae)はかつてクルシア科(Clusiaceae、旧称オトギリソウ科 Guttiferae)の一部として扱われていたが、分子系統解析によってクルシア科から独立した科として認識されるようになった。現在のオトギリソウ科はHypericum属を中心とし、Triadenum属など少数の属を含む。
オトギリソウ属(Hypericum)は約500種以上からなる大属であり、その系統関係の解明は近年の分子系統解析によって大きく進展している。属内はいくつかの節(Section)に分類されるが、属全体の単系統性については研究が続いており、一部の近縁属との境界も再検討されている。キンシバイ(Hypericum patulum Thunb.)はその属内においてパツルム節に分類され、東アジアを分布の中心とする系統群に属する。ヒペリクム・パツルム「ヒドコート」(Hypericum patulum Thunb. cv. Hidcote)はこの種の栽培品種であり、系統的位置は原種と同一である。
本属の進化的特徴として特に注目されるのは、ヒペリシンおよびヒペルフォリンという特異な二次代謝産物の進化である。ナフトジアントロン系のヒペリシンは光増感活性をもつ防御物質として機能し、この生合成系の獲得が本属の多様な生態的適応に貢献した可能性がある。フロログルシノール系のヒペルフォリンも本属に特徴的な成分であり、これらの二次代謝産物の生合成経路は化学進化の観点から研究が進んでいる。
また、本属では多様な倍数性レベルが認められ、二倍体から高次倍数体まで種内・種間で幅広い染色体数の変異が見られる。この染色体レベルの多様性は本属の種分化と適応放散に関与した可能性が指摘されており、大属としての多様性の進化的背景のひとつと考えられている。多数の雄蕊が束状に集まる形質(雄蕊群の形成)はキントラノオ目の一部の科に共通する特徴であり、オトギリソウ科においても重要な形質として認識されている。
第2版:2026-06-27.
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.